個室の便座もよく汚れている。排泄物の残滓のようなものが付着しているのを見たことがあって、これには思わず阿鼻叫喚の声を上げてしまったが、非常によく見かけるのは、温水洗浄を用いた跡と思われる、水滴の付着である。温水洗浄というのは言うまでもなく、局部をダイレクトに洗浄するものであって、臀部を便座から浮かせるという曲芸のようなことをやらない限り、便座が濡れるなんてことはあり得ないのであって、全くもって不可思議なことである。都度、清掃活動を行っている人間がいることに思いを馳せられないものだろうか
去斑療程。
昨日は、会社のトイレの洗面台の横に、爪楊枝が放置されていた。15cm先、僅か半歩歩けばゴミ箱があるのに、自らの口腔内をシーハーやった汚い楊枝を、何故にわざわざここに捨てるのであろうか。トイレの話ではないが、ゴミの分別もしなければ、あまつさえ、中身の残った缶飲料をそのままゴミ箱に捨てる非道の者もいるらしく、ここまで来るとほとんど“社内テロリスト”の様相である
平板上網。
冒頭に記した惨劇も含め、会社の中に子どもが立ち入るはずもなく、これらの狼藉の下手人は須らく大人なのである。トイレは“素の自分”が最もよく表出する場であるからこそ、その表出した自分を、洗面台の鏡の前に立って見つめてみなければなるまい。そして、その自分の姿は、きっと子どもたちにだって映っているのである。ドロシー・L・ノルテの『子どもは大人の鏡』には、最後に「あなたの子どもはどんな環境で育っていますか?」という投げかけがある。学校で「ぞうさんおおあばれー」などとやっている子どもの親は、もしかしたら家で同じことをやって見せているのかもしれない。大人たるもの、トイレの神様から罰を与えられぬうちに、自らをしっかりと戒めたいものである
法國自由行。